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現代の魔女狩りか?

昨日 お会いした女性の叫びです。
長いですが、ぜひ読んで下さい
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はじめまして。××××と申します。
8月で22の誕生日を迎える女です。
ブログ読ませていただきました。
今の精神医療はおかしなことだらけですよね。

私は現在鬱と拒食症で通院中です。
デパス、ラミクタール、ベゲタミンA他いくつもの薬を服用しています。
薬を飲まないと生活が成り立ちません。

そんな薬の話より言いたいのは精神医療で行われている「拘束」の話です。

私は中学2年14歳のときKC病院なるところへ入院となりました。
拒食症です。
当時の私は153cm33kgでした。
最初は近くの内科へ連れていかれました。
そして私が拒食症だと知った教師の母親は学校にも関わっているKC病院を探しあて、次はそこへ連れていかれました。
担当はK医師でした。
話を聞いた医者は即入院を決め、私に詳しい説明もなしに病棟の入口に鉄の扉二枚、さらにもう一枚先の個室に入れられました。
私に渡されたのは2枚ほどの人権について、弁護士などについて書かれた紙だけです。
そして私は任意入院であると、毎食2/3以上食べなければ経管栄養になると告げられました。
もちろん経管栄養で無理矢理太らされるのは絶対に嫌だったので食べました。
それまで一日100kcalしかとっていなかった体には相当きつく、毎食吐き気と胃もたれで苦しみましたがそれでも食べました。
三日目、そんなに苦しい思いをしているのに私に対してなんの説明もされないのはおかしいと思い医者にせめて親と面会だけでもさせてほしい、親はそれで納得しているのかだけでも聞かせて欲しいと頼みました。
それを聞いたK医師は鼻でせせら笑い、それは無理だよと答えました。
人権について、任意入院について書かれていた紙を穴が空くほど読んでいた私は任意入院で私の意思で入院しているのだから退院させて欲しいと懇願しましたが笑うだけでK医師は全く相手にもしてくれなかったのでついに私は点滴を目の前で抜いて抗議しました。
私は拘束になりました。
「命の危険がある」との事で、強制入院になりました。
「命の危険がある」にチェックが入っていたのを覚えています。

一日、二日、二週間、天井だけを見て過ごしました。
鼻から管を通されました。
尿道バルーンも入れられました。
オムツを履かされて人ではなくなった思いをしました。
強い抗うつ剤の入った点滴も入れ直しました。
あまりの突然の出来事に暴れもせずただ茫然としている私を4人の看護師が抑え手足胸を太い紐で繋がれました。ベッドの底から15cmしか紐の長さはありませんでした。手首を動かすことすらままなりませんでした。
二週間目、やっと紐が30cmになり、30分だけ音楽が許されました。
経管栄養の管は二週間に一度、入れ換えられます。胃カメラをやったことがある人ならわかると思いますがあの太い管を飲み込むのはものすごく痛いし苦しかったです。
母親がよく聞いていたZARDの負けないでを聞いてずっと泣いていました。
医者は一日一回、15分しか居ませんでした。最初は殺してやると言っていましたがこの頃にはいっそ殺してくれと言っていました。
なにを言ってもにやにやするばかりのK医師に、「あなたは鬼畜ですね」と言ったら「××さんがMなだけですよ」と言われました。
一ヶ月たちました。紐は30cmのままです。
隣の部屋に新しい女の子がきたらしいです。
同じK医師の担当らしいです。
次の日、その子も拘束になりました。
泣き叫ぶ声が毎日聞こえました。
私は音楽だけが生きる命で、いつも現実を忘れたくて歌っていました。
「もう命の危険はないですよね?どうして拘束されているのですか?」と聞きました。
「自分と向き合うためだよ」とまたにやにやしながら言われました。
あの医師の、にやにやした顔が忘れられません。
「そとではポニョが流行っているんだよ。ポーニョポニョさかなの子♪ってうちの子が歌っていて困るよ」と目の前で歌いながら自分の子の自慢をされたこともあります。
自分の子が拘束されたらどんな気分でしょうね?
拘束は3ヶ月間続きました。
自分の誕生日も拘束されながら過ごしました。
辛かったです。苦しかったです。悔しかったです。
言葉では表せないほど、辛かったです。
きっと私の気持ちは拘束されたことがある人しかわからないでしょう。

拘束を外されてからも一ヶ月、私の監禁生活は続きました。
親はこの状況を本当に理解しているのか知りたくて、薬の包装紙と看護師から盗んだペンを使って手紙を書き、一週間に一度衣服の交換に出す袋に紛れこませました。
けれどずっとずっと待っていた親からきた手紙には今は辛いだろうけど頑張ってとしか書かれておらず、絶望しました。
それでも嬉しくて涙がとまらなかったです。

4ヶ月目、やっとホールにでられるようになりました。5分間だけです。
次の日、その5分でコミュニュケーションがとれなかったからという理由でまた個室の監禁生活に戻りました。
その一週間後、5分、10分、15分、30分と三日おきくらいにのばされていきました。
やっとホールで仲良くなった友達もできて入院してから五ヶ月後、やっと親との面会ができました。
けれどK医師は「今退院したら命が危ないんです」の一点張り。
親も親で「もう少し頑張りなさい」しか言いませんでした。
半年たちました。
やっと父親だけが動きだし、もう反対する母親を無視して私を助け出してくれました。
半年ぶりの外は眩しくて、空が青かったです。
ガソリン代が高くなっていたのが妙に印象的でした。

今年4月、私は結婚してやっと母親の呪縛から離れられました。
しかしあのときは帰ってきませんし、薬からも離れられません。
入院するまでは薬なんて頭痛薬くらいしか飲まなかったのに。
勉強がよくできた私だったのに、私立の進学校の半年の溝はあまりにも深くて、わからないところがわからなくなって学校にも通えなくなりました。

皆が問題にするのは不登校やら鬱やら引きこもりやらばかりです。
薬を減らせとばかり言われます。
薬の問題ばかり言われていますが私は精神医療現場の「拘束」も問題にすべきだと思うのです。
未成年の拘束では弁護士への相談も親の許可がないとできません。
しかし拘束されている以上、親との連絡もできません。
14歳だった私はカルテ開示を要求できる5年間、親が動かない以上なにもできませんでした。

当時の友人からも「あのときのことは忘れて今の幸せを噛み締めろ」と言われます。
でも、でもそれは拘束されたことがないから言えることです。
あの悔しさ、悲しさ、絶望感はなにものにも変えられません。

拘束は人を変えてしまいます。

誰もわかってくれません。
やっと、やっと旦那になった人だけが私の気持ちに近づいてくれました。
一緒に闘ってくれると言いました。
拘束などあってはならないことです。
一時的にするだけでも人を人でなくしてしまいます。
拘束への思いが少しでも伝われば幸いです。

長々と失礼いたしました。
読んでいただきありがとうございます。


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ついでに小話程度に。

私は鬱や摂食、引きこもりなど、一概には言えないのですが思春期の精神病が母原病という名前が一時期流行りましたよね。
親の過保護、過干渉が問題となって、その心を病んでしまうと。
完全に親のせいではありません。
が、私は母親を責めてしまいます。
私はずっと同居していた祖母に育てられていました。
母は教師の仕事柄帰るのも遅く、イライラをぜんぶ私たち兄弟にぶつけて生徒の愚痴を聞きながら生きてきました。
母と祖母はいつも喧嘩ばかり…というか嫁姑問題が激しく、母の「祖母はいつでも私にむちゃばかり押し付ける」祖母の「嫁はいつも家事もなにもせず仕事ばかりで子どもの面倒すらみない」と3歳くらいのころから母と祖母の間を取り持ち、支えてきました。
祖母は祖父を早くに亡くして一人で三人も育てたのですから、それを母に求めてしまうんですよね。無理な話です。
その苦しさを私に愚痴をこぼし、祖母に伝え、さらに母に祖母の愚痴を伝える、いわば伝書鳩のような役割を強いられてきました。
私がいなければ家族は崩壊寸前だったのです。
でも、3歳の私には酷な話でした。
「見えない暴力」「言葉の暴力」です。
体の暴力ならまだはたから見てもわかりますし、思春期までには助けてもらえます。
でも、言葉の暴力はそうはいきません。

過保護は誰でも聞いたことがあると思います。子どものいうことをなんでもはいはい聞いて与えることです。
過干渉は違います。
子どもに自分の理想の子ども像を押し付けてしまうのです。
しかも、ずっとずっと前の世代から受け継いできたことなのでやめようにもやめられせん。
子ども像を押し付けられた子どもは、人の顔色を伺って生きるようになります。母の思った通りのことを完璧にしないと嫌われると思ってしまうからです。
しかも、過干渉の親は自覚がありません。

こうして、真面目ないい子だったのに急に、が起こるのです。

過干渉は家族の連鎖です。
いきなり治そうと思ってなおるようなものではありません。
けれど、すこしだけ、子どもらしさを許してあげてもいいのではないでしょうか?
子どもの個性を認めてあげてはどうでしょうか?
こんな子に育てたい、をやめてあげてください。

発症するのは本当に本当に限界がきて爆発したからなのです。

人は一人一人ちがうのですから。
悪いところより、よさを見つけてあげてください。
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そうすね。
大体、家族になんらかの問題がある。
でもそれは大多数の家庭も同じ。

うちもオヤジは今でも金のない自分に金を出せ、返せ、お前にやる金はない、ばかりです。

ある時、破産申立をしてきた元受任弁護士への対応で弁護士に依頼する時に「物珍しさ」で事務所まで付いてきました。
それで「面白くない」事がわかると、もう興味なし。
今では自分が裁判をした事さえ覚えていません。
毎日、夕刻から酒を飲み、6PMまでには夕飯を食べて、後は何もしません。

本気ではないですが「殺してやろうか」と何度思ったことか。
うちの家族はテレビ、新聞しか信じていません。

幾ら新聞が嘘を書いているとか、テレビにも嘘がいっぱいとか、医者の言う事には間違いがあると言っても聞く耳持たずです。
病気を治そうという気もない。

だから尚更腹がたつ。
でも世の中、こんなものです。


最後に彼女の服用しているクスリです。


===================================そして薬ですが、ジプレキサやハルシオンなどといった定番薬はもちろんいろんな薬を試しました。
一向によくならず、むしろ離脱症状や副作用に苦しんでいます。
今飲んでいる薬(一般薬も含む)をあげますね。

メトリジン2mg朝晩×1ずつ
フルボキサミンマレイン酸塩錠75mg朝晩×1ずつ
カバペン200mg朝晩×1ずつ
ボルタレン×2
センノシド12mg寝る前×4
シンラック2.5×1
ルーラン8mg寝る前×1
ゾルピデム内用液寝る前5mg×2
リフレックス寝る前15mg×2
ベゲタミンA寝る前×2
マグミット朝昼晩500mg×1ずつ
エホチール朝昼晩5mg×1ずつ
メリスロン6mg朝昼晩×1ずつ
ガスモチン5mg朝昼晩×1ずつ
ニザチジン150mg朝晩×1ずつ
デパス1mg×朝1、寝る前2
レクサプロ10mg夜×1
フェルムカプセル100mg夜×1
ラミクタール100mg夜×2
ナウゼリン5頓服

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プロフィール

Oliver2003

Author:Oliver2003
こんにちは
横浜のとある所に棲息しているしがない一応経営者。
専門は金融。
資産運用の世界では、少しは名の馳せたバックオフィスのスペシャリスト。
Accounting、Fund accounting、Compliance、System Administrator、General afferiate、Internal Audit、Custody control、Market practice reserche、System Engneer、System Consultant・・・
色々、歴任しました。
運用会社に、証券会社、信託銀行、保険会社、金貸し以外の金融はほぼ網羅。
新規立ち上げは信託銀行に運用会社が3社。
自分の会社も立ち上げました。
アタッカーズ・スクールで起業の勉強もして、今年 創設18年が終了。
今は人、カネに使われない働き方を模索中です。
一人大儲けしても意味が無い。
関係する人 全てがハッピーになれるビジネスを構築する事が、当面の課題です。
生活保護受給世帯、貧困状態の家庭、シングルマザー、食べられない子供、食べられない家庭を何とかせんとイカン!
学びたい子供、学びたい人に教育の機会を確保する事も大事。
お金の心配なんてしないで、しっかり学んで欲しいのよ。
世界一 冷たい国 日本をみんなで脱出をしよう!

相談事なら何でも聞きます。
お力になれるかはわかりません。
でも、一緒に悩みましょう。
クスリは体にとって「異物」です。
化学薬品の塊。
そんな物、体に言い訳がない。

急性期には必要ですが、長く服用して良いはずがない。
特にベンゾジアゼピンは使えば使うほど効力(薬効)がなくなり、服薬量が増えて依存性が強くなります(薬剤耐性→依存状態)。
いわゆる中毒です。

そこからの脱出は離脱症状との戦い。
ありとあらゆる体の異常が現れます。
先が見えなく不安になりますが、よく考えてください。
もう体に「毒」は入らなくなるか少なくなっているはずです。

と言うことは、あとは回復に向かうだけ!
めげず、希望を失わずにリカバリーをしていきましょう。

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